頸損だより2004秋(No.91)

特集

ベンチレーター国際シンポジウムin Osaka


ベンチレーター(人工呼吸器)使用当事者が、病院や施設ではなく、家族中心の介助でもない、地域で自立生活をするということはどういうことなのか。実現していくには、どんなことが必要になってくるのか。

日本では、ベンチレーターは生命維持装置という社会的な根強い偏見も残っており、また吸引という医療的ケアの制度的な問題を含め、まだまだ多くの壁があり難しい状況にある。では、海外のベンチレーター使用者事情はどのようになっているのか。

アメリカやカナダ、スウェーデンという、欧米先進国からベンチレーター使用者を講師に迎えて、国際シンポジウムが今年6月札幌・東京・大阪の3都市で開かれた。他の国の様子を知ることの意味は大きい。彼らの自国での取り組み、自立生活運動にとても強くエンパワメントされた人たちも多かった。これからこの日本においてもベンチレーターを使用する仲間が、普通に、ごく当たり前に自立した暮らしができるよう、そして社会参加できるよう、一緒に取り組んでいかなければならない。このシンポジウムを通して、われわれから社会に向けてますます強く発信していくきっかけにしていきたい。

3都市開催のシンポジウムのうち、大阪での講演を一部要約して紹介します。


なお、3都市でのシンポジウム詳細、講師へのインタビューなどが現代書館から発売される予定のようです。詳しくは当シンポジウムの主催である札幌のベンチレーター使用者ネットワークまでお問い合わせ下さい。


ベンチレーター使用者ネットワーク

〒003-0022 札幌市白石区南郷通14丁目南1-5 ポッシュビル・1F C棟

URL:http://www.jvun.org/  e-mail:info@jvun.org TEL/FAX:011-868-3306

■以上(大阪頸損連絡会事務局@鳥屋利治)

●2004年6月27日(日)11:15〜18:00
●オスカーホール(大阪市住之江区)

■基調講演 ■特別医療講演 ■パネルディスカッション

基調講演

世界のベンチレーター使用者とつながりあって

国際ベンチレーター使用者ネットワーク

ジョーン L.ヘドリー氏

ポリオの障害を持ち、過去16年間自立生活運動に関わっている。インディアナ州ハンティングトン大学で学士号、インディアナ大学で修士号を取得後、カリフォルニア州サンディエゴの“The Center for an Accessible Society”で顧問委員を務めている。

■ベンチレーター使用者であるために経験する3つの段階

ベンチレーター使用者であるために経験する3つの大きな段階がある。(1)状況に直面すること、(2)人生について学ぶこと、(3)その人生を生きること、だ。


(1)状況に直面すること

ベンチレーター使用者になるには、まず医学的な条件によって人工呼吸が必要であることが出発点となる。ベンチレーターを使用をするかどうかは、在宅人工呼吸療法について知識を持っている医学の専門家にうまく出会えるかどうかに関わっている。しかし、それは言うは易し、行うは難しだ。

もっとたくさんの医療の専門家が、在宅人工呼吸療法の問題について把握することが必要だ。国際ベンチレーター使用者ネットワーク(※1)では、在宅人工呼吸療法についての情報を編纂し普及させることをひとつの使命だと考えている。私たちがまとめた情報リストは情報の宝庫だといわれている。宝庫の宝の量をこれからも増やしていきたい。

やはり在宅人工呼吸療法の複雑さをよく理解している医療の専門家の数が増えていかないといけない。ベンチレーターを使うかどうかの意思決定を行うには、医療の専門家が提供する情報が必要不可欠だ。しかしベンチレーター使用に関して、医療の専門家といえども大きなバイアスが存在している。

ベンチレーター使用者621人を対象とした調査で、ベンチレーター使用者は人生の満足度を7点満点で4.98と評定した。医療の専門家は自分の人生の満足度を5.53点とした。しかし、医療の専門家に自分の患者であるベンチレーター使用者の満足度を想像してくださいというと、実際に患者が評定した点数よりも1/2.42分低くなった。医師は患者が人生に満足していないと思っている。

また理学療法士のミーティングに参加した時にびっくりしたのは、リハビリの専門家である理学療法士が「あんな状況で生きているなんて、とても私はできません。あなたもそう思いませんか」と言ったことだ。私はどうしたらいいか当惑して不安になってしまった。私はベンチレーター使用者の権利擁護をする立場にあるが、私たちのメッセージが理解されていないからこそ、医療の専門家でさえこんな誤解をもっているのかと思った。

私たちは情報を提供し、この17年間でいろいろな技術の進歩があったが、その情報に基づいて決定をしていただきたいと考えている。以前は気管切開をすれば二度と話ができないと言われていたが、今は会話用のバルブが提供されている。メーカーはより小型の持ち歩ける機械を在宅や地域の中で使えるように提供している。またさまざまな人工呼吸器があり、多様な呼吸のための設定ができる。多くの人は非侵襲式の、気管切開を行わない人工呼吸器を使っている。それから、呼吸筋が衰弱している人たちが気道から痰を除去できるように咳払いの介助をする機械もある。


(2)人生について学ぶこと

新しくベンチレーターを使うようになった人たちの人生は一変する。いろいろな医療機器や付属品が家にあふれ、いろいろな音を立てる。そしてそれぞれの機器によってやっていいことや悪いこと、注意事項がいろいろある。

医療の専門家である医師はもちろん重要なアドバイザーの役割を果たすが、医師とベンチレーター使用者との橋渡しをしてくれる存在として、アメリカでは呼吸療法士(RT)が仕事をしている。呼吸療法士は医師の指示に従ってベンチレーターの設定を行う。そしてベンチレーター使用者、家族、介助者に、どのように作動させるか、どうやって掃除をするか、どうやってカニューレを交換するか、咳払いをどうしたらいいか、また家庭内において危険はないか、障害はないか、また停電になった場合はどう対応したらいいかなどを指示する。使い始めてからは、ベンチレーターの設定を見て、確認を行い、使用者が指示どおり使っているかどうか、快適な呼吸ができているか、十分な睡眠はとれているか、十分な処方どおりの使用ができているかなどを見る。

全く初めての人が家にやって来て、ベッドルームやバスルームを変えてしまう。そして新しいスキルを教えていく。そうして、いろんなレベルの技術の知識を持つ人たちと、身体的に制限がある人たちが新たな役割、新たな関係性を生み出していかなければならない。これは大きな挑戦だ。呼吸療法士、看護師、介助者の人たちすべての人たちが協力して、恐怖感なしにできるようにしていかなければならない。

このような、人生について学ぶ段階で必要なことは何か。アドルフ D.ラツカ氏は、医療的なサポート、バリアフリーの環境、パーソナルアシスタンス(※2)の3つが必要だと言っている。パーソナルアシスタンスでは介助者を自分が選択し、自分がコントロールできる。自分が雇用し、あるいは時には解雇し、誰が自分のために働いてくれるかを選ぶことができる。いつ来てもらうかも選ぶことができる。このシステムは、ライフスタイルのニーズに合ったものであって、医療的なニーズに合ったものではない。すなわち障害当事者が雇用主になるということだ。


(3)その人生を生きること

オードリー・キング氏は、自分の人生を生きているとても良い例だと思う。17カ国もの国を補助呼吸器をつけて旅行された。そしていくつかの注意事項を言っている。

まずリサーチが必要だ。どこに行くかだけでなく、いろんな資源を駆使して研究しなさい。そしてバッテリー電池などの準備をすること。どこでそれが得られるか、どこに医療機関があるかもちゃんと調べて行きなさい。またいろんなツールについてバックアップの装置を持っていくこと。それがちゃんと機能することをしっかりと判断しなさい。それから自分が何に耐えられて、何だったら耐えられないかを理解しておくこと。たとえばマットレスなしでは行けないのかどうかを旅行前にちゃんと準備しておきなさい。それから誰と一緒に行くかということ、旅行に行く前にその人のことをよく知っておくこと。旅行の場合は、在宅にいる時よりもずっとスムーズに移動するのだから、よく知っておかないといけない。またユーモアを忘れてはならない。必要な時にちゃんと議論できることも重要だ。必要であれば、ちゃんと感謝の気持ちを表せるようにしなさい。そして計画、計画、計画、計画を整えなさいと。

ベンチレーター使用者とその家族は、自分の人生をできるだけノーマルな形に持っていくようアレンジを変えていかなければならない。オードリー・キング氏は、2002年にカナダのベンチレーター使用者についての報告書を出した。ベンチレーターの使用者のものの見かたということで、QOLにとって重要な要素は何かを報告している。

医療従事者あるいは一般の人は、呼吸器のサポートを得ながら生きていくのはひとつの欠点であって、大きな負担であると考えている。しかし、ベンチレーター使用者自身は、ベンチレーターはサポートのひとつの技術であって、たとえば車いすと同じようなものなのだとしか考えていない。これによってエネルギーを獲得して、自分の全体的な健康をさらに良くし、自立した生活を送れると言っている。

この報告書の中で、ベンチレーター使用者がインタビューに答えていろんな提案をしている。いくつか挙げてみよう。

●装置について:もっと静かな軽いベンチレーターの方がいい。ベンチレーターの設計は介助者が間違って設定を変えてしまうことのないよう設計してほしい。たとえば安全ロックをかけるなどしてほしい。
●教育について、具体的には医療従事者に対してのお願い:医療従事者はQOLの問題をよく把握していないといけない。彼らが思うほど、ベンチレーターは生活に大きな支障や問題を及ぼすものではない。それを使う人たち、あるいはサポートする人たちが今ある状況をもっともっと良くしたいという意識をつねに持つことが重要だ。私たちを個人、人として扱ってください。私たちは自分が何を欲していて、何が必要かはよくわかっている。私たちに質問してください。そうすれば答える。強制しないでください。
●アクセスビリティについて:90%の世界はアクセスできない状態にある。会社がビジネスをしているとすれば、人々に対してモノを売ろうとするだろう。そして人々にアクセスできるようにするだろう。ベンチレーターを使用する場合も同じことがいえる。私たちがどこにでもアクセスできるようにしてください。また、人工呼吸器は誰も見たことがない珍しいものだから、あまりにもびっくりしてしまって私たちのことを凝視できないでいる人がたくさんいる。しかし私は、私のことがみんなに知られていることはよくわかっている。
●官僚主義について:サービスを提供する際にはタイミングが必要だ。サービスの構造を変えて、提供者でなく、ユーザーを見てサービスを提供してください。いろんな書類に、自分が誰であるのか、どれくらいのお金を持っているのか、いろんなことを記入しなければならないが、こういう書類を作ることで政府はずいぶん無駄をしているのではないだろうか。われわれには時間が必要だ。私たちは座って医師と話をしなければならない。自分の人生のあらゆる側面について医師と話さなければならない。だから時間が大切だ。さまざまな要素があって、それが障害となる場合もある。だからすべて全体像を見てもらわなければならない。
●資金調達について:このようなパーソナルアシスタンスのサービスが提供されているところがある。コミュニティに入っていくことを考えてみるが、そうすべきかどうか、ちょっと迷ってしまうことがある。それが安全ではないということを言っているのではないが、財政的な削減、縮小が起こっている。であるならば、家にいてもそれほど安全ではないと思えるようになってしまった。必要な時には必要なところに行きたい。そしてパーソナルケアを特に待っている場合、そのタイミングが重要だ。

■自分の動けるところを見つけて協力することが大切

施設に収容されずにノーマルな生活を送るという目標は、自立生活の理念によって促進されたが、社会は依然としてベンチレーター使用者の壁になっている。これは態度の問題だ。障害者の眼で社会を見ていかなければならない。参加者として何が必要かを理解しなければならない。医療のモデルでなく、自立生活のモデルを使わなければならない。それによって問題になるのは環境的な問題だということがわかってくる。そして環境は変えることができるものだ。

このシナリオには他の人たちも関わって来なければならない。ラツカ氏が言っている。「自立した生活というのは、何でもかんでも自分でやりたいと言っているのではない。そして誰も必要ではない、1人でいたいと言っているわけでは決してない。自立した生活とは、障害を持つ私たちも障害を持たない兄弟や近所の人々のように、あたりまえに日常生活における選択やコントロールができるようにすることなのだ」。家族の中で成長して、近所の学校に行って、近所の人と同じバスに乗って、そして仕事を持って、そして教育を受けて、いろんな資格を取って、自分の家族をつくりあげていくことがしたい。他の人たちと同じことがしたい。自分で責任をもって自分の人生を生きたい。自分のために考えて、自分のために話をしたい、ということだ。

権利擁護の活動を30年間続けてきた、私たちの団体の創設者ジニー・ローリーは次のように言っている。「私はこれを自立生活運動というよりも相互依存生活運動と考えたい」。障害者が1人でどこかへ行くということではない。人々といっしょに生きたいということだ。ベンチレーターを在宅で使う人たちにはいろんな挑戦課題やニーズがある。その問題を彼ら自身、1つのグループだけで解決できるものではない。いろんな人たちが協力して問題解決しなければならない。大きなちがいをもたらすことは1つのグループではできない。

たとえば国際ベンチレーター使用者ネットワーク、日本ALS協会、バクバクの会、あるいは日本のベンチレーター使用者ネットワーク、すべてのグループが協力していかなければならない。そしてそれを維持・持続していかなければならない。課題が何なのか、私たちは何を必要としているのか、しっかり把握しておく必要がある。そしてそのために協力しなければならない。

私たちは他の運動から学ぶこともできる。他の国から学ぶこともできる。たとえば女性運動はどうだったのか。どんなことをしたのか。権利を獲得するために何をしたのか。そして何が正しくて何に失敗したのか。そのような他の公民権運動の活動からも学ぶこともあると思う。

みんながエド・ロバーツ(※3)に、あるいは佐藤きみよ氏(※4)になって、自分の動けるところを見つけなければならない。自分でウェブサイトをつくる。あるいはスタッフの封筒を作っていく。あるいはこの会議にやって来る人たちの手助けをした人もいるだろう。そんな自分ができることを見つけなければならない。1人で何でもできるわけではない。何百人もの人たちが私たちの理念を理解してサポートしてくれていると思う。それはたとえ目に見えない形であってもサポートしてくれている。

ある人が言った。エド・ロバーツは自立生活について講演をして回っている。でも私は毎日、生きているんだと。いろんな交通機関を使って仕事に行って、そしてスーパーマーケットで買い物をしている。そんな小さいことと思うようなことであっても、それが本当に重要なのだ。

われわれは独りではない。サポートしてくれる人たちがいる。そして献身的な医師もいれば、献身的な医療従事者もいる。そして家族は私たちのためにサポートをしてくれている。いろいろな自立生活支援をしている人たち、ベンチレーターを使用している人であれ、使用していない人であれ、権利擁護活動をしている人たちがたくさんいる。そうした人たちも私たちをサポートしてくれている。

われわれは大きなものを求めている。市民権、公民権というものを得たいと。これはすべての人に対してだ。そして私たちもその一部だ。生活の状況、人類の生きる状況をより良くするための活動の一端を担っていると思っている。

※1 国際ベンチレーター使用者ネットワーク International Ventilator Users Network (IVUN)。 ホームページ http://www.post-polio.org/ivun/index.html
※2 パーソナルアシスタンス 個別介助。事業所を通さずに、利用者が介助者を直接雇う方式。スウェーデンでは、介助料が国から利用者に直接支払われる(ダイレクトペイメント)。利用者はその資金を元手に、好みの介助者を自由に選んで雇用できる。
※3 エド・ロバーツ 1960年代、アメリカのカリフォルニア州バークレーで自立生活運動を創始。ポリオ後遺症の障害で人工呼吸器を使用していた。世界に自立生活運動の理念と実践を広げ、「自立生活運動の父」と言われる。1995年死去。
※4 佐藤きみよ氏 ベンチレーター使用者ネットワーク代表、自立生活センターさっぽろ理事長。札幌市在住。障害は進行性脊髄性筋萎縮症で12歳の時から28年間ベンチレーターを使用する。1990年より自立生活を始め、同年「ベンチレーター使用者ネットワーク」を設立。1996年には「自立生活センターさっぽろ」を設立し、どんなに障害が重くても地域で暮らすために必要なサービスを提供し始める。

パネルディスカッション

ベンチレーターと社会参加

●パネラー

オードリー J.キング氏

(トロント自立センター)

9歳の時にポリオとなり、以来四肢マヒによりベンチレーターユーザーとなる。カナダのカールトン大学の心理学部修士課程卒業。州の子供リハビリ施設で心理士として30年間勤務。現在、トロント自立生活センター、(財)カナディアンアビリティーの役員。

アドルフ D.ラツカ氏

(ストックホルム自立生活協同組合)

ドイツ生まれ。17歳の時ポリオにかかり、以来電動車いすを使用。また、夜間及び昼間の折々に呼吸器を使用している。UCLA大学院修士課程卒後、スウェーデンに渡り、現在に至る。1983年ストックホルム自立生活協同組合(STIL)を結成。スウェーデン福祉の質的転換(パーソナルアシスタンスの当事者決定・当事者管理)を促す。DPI(障害者インターナショナル)自立生活委員会事務局長(1990年)等、自立生活運動の国際的な活動家である。

ジョーン L.ヘドリー氏

(国際ベンチレーター使用者ネットワーク)

※プロフィールは基調講演を参照

熊谷寿美氏

(日本ALS協会)

1950年(昭和25年)、長崎・普賢岳のふもとに生まれる。陸上のハードル選手として、インターハイ(高校総体)県代表。 23歳のとき、4歳年上の博臣さんと結婚。3歳と1歳の子どもを育てながら、幸せな日々を送っていた27歳の時、足に異状を感じて、発症。人工呼吸器をつけて、飛行機にも乗り、2000年12月、デンマークで開かれた「国際ALS/MND連盟」の会議・シンポジウムに参加した。近畿ブロックの会長を9年間務めた。2002年、初孫ができて、若いグランマーに。

冨田直史氏

(ベンチレーター使用者ネットワーク)

1975年、兵庫県神戸市に生まれる。子供の頃から進行性筋ジストロフィーの障害を持ち、17歳から電動車椅子を使用する。95年、阪神淡路大震災の作業所復興支援に携わったことから障害当事者の運動に関わり始めるようになり、その後、神戸や大阪で様々な活動を経験する。01年に佛教大学社会学部社会福祉学科を卒業、一時体調を崩したことをきっかけに就寝時のみベンチレーターを使用するようになる。02年に開催されたDPI世界会議札幌大会への参加を機に、神戸から札幌に単身で移り住み自立生活をはじめる。

●コーディネーター

折田みどり氏(人工呼吸器をつけた子の親の会 バクバクの会)

バクバクの会とは

人工呼吸器をつけた子どもたちが、“ひとりの人間 ひとりの子ども”として尊重されながら、地域社会の中で、当たり前に自立して生きることができる社会の実現をめざし、社会環境整備や改善に向けた活動、社会的理解を図る活動、情報収集・提供、相談、セルフヘルプ活動等を行っています。

■まずはパネラーの自己紹介

【折田】バクバクの会は「人工呼吸器をつけた親の会」が正式名称で、1989年、淀川キリスト教病院で長期に人工呼吸器をつけて暮らしている子どもたちの、より安全で快適な入院生活と生きる喜びを願って結成された。翌年、前会長である平本氏のお嬢さんの歩さんが在宅生活を始めるにあたり、全国組織として展開された。現在、正会員・賛助会員・購読会員を合わせて約700名の方々が会の活動に賛同し、いっしょに活動している。その中で呼吸器をつけた子どもたちの家族は約340家族で、そのうち自宅で生活している子どもたちは約200人、病院や施設で暮らしている子どもたちが約100人いる。残り40〜50名は今、天国に住んでいる。

14年前には、呼吸器をつけて家に帰るということは、医師からも無謀だと言われた時代だった。でもそんな中で、私たちは子どもたちが呼吸器をつけることでパワーをもらい、つながれた生活ではなく、彼ら自身が生活をエンジョイでき、豊かに暮らしていけることがわかってきた。私たちは子どもたちの家族として家で過ごしたいという思いがあったが、バクバクの会も15年になるので、当初子どもだったバクバクっ子ももう大人になってきている。子どもたちの自立生活というのが今、関心があるテーマになっている。

【冨田】ベンチレーター使用者ネットワーク、自立生活センターさっぽろでスタッフをしている。2年前まで神戸に住んでいたが、大学卒業後、体調をすごく崩して、それをきっかけに非侵襲式のベンチレーターを使うようになった。今のところ昼間は全然必要ないが、いずれは24時間使うことが必要になるだろう。関西にいた時、何カ月か国立療養所に入所したり、在宅生活に戻ったりしたが、医療関係者やドクターの方々の理解がなかなか得られなかった。正しい情報が全然伝えられないのでいろいろ調べて、このベンチレーター使用者ネットワークをウェブサイトで見つけて連絡をとった。

札幌のベンチレーター使用者ネットワークでは理解ある医師の方とつながりがあったり、気管切開をして自立生活をしている代表の佐藤きみよをはじめ、花田貴博という当事者スタッフもいて、彼らからすごく情報を得られたり、ネットワークがあって、気管切開をして24時間つける選択をした場合にサポートが十分あるということで、そちらに行って自立生活をスタートさせた。

【熊谷(夫の博臣さん)】私の妻は27年ほど前にALS(筋萎縮性側索硬化症)を発病した。最初の5年間で足が動かなくなり、次の5年間で手が動かなくなり、次の5年間で息が苦しくなって、13年ほど前に呼吸器をつけた。自宅で家族とともに生活をしている。現在は手も足も全く動かない。コミュニケーションは携帯会話補助装置を使って、舌で赤外線スイッチを操作して50音を操作している。

【ラツカ】スウェーデンのストックホルム自立生活協同組合の代表をしている。61年にポリオにかかった。すぐに死ぬんじゃないかと思った。こんなことで生きていてもしかたないと思った。でも、これは全部間違っていることに気づいた。今では生活はとても楽しいものだ。つらい時も良い時もあるが、それは一般の人と全く同じだ。これまでの何年かを振り返ってみると、パーソナルアシスタンスが国でよくなされるようになってきた。それに対してダイレクトペイメントが可能になった。それによっていろんな友人に会うことができ、国を超えていろんなところを訪問することができ、いろんなところで人に会うこともできた。家族をもって子どもをもつこともできた。このようなパーソナルアシスタンスに対してダイレクトペイメントという方式があるのは、すばらしいことだと思う。

【オードリー】もう何年も、いろんな国に旅をしている。でもアジアに来るとは思わなかった。すばらしい機会をいただいたと感謝している。

9歳の時にポリオになった。最初は「鉄の肺」(陰圧式人工呼吸器)に入り、それから数年は夜間だけ介助が必要だった。何年かたって、身体の訴えがあって日中もいろんな介助を使うようになった。かつての私は、気管切開やベンチレーターを使うというのは世界でいちばんひどいものだと思っていた。が、5年前に肺炎にかかり、ベンチレーターはさほど悪いものではないとわかった。以来、マスクベンチレーターを使って夜間を過ごしている。30年間、心理学の専門家としてオンタリオの障害児の病院で働いていた。その仕事は、子どもたちに社会の中で生きられるようにする、そのチャンスを与えることだった。

スウェーデンと同じように、オンタリオでもダイレクトペイメントがある。ラツカさんが認められているような時間数ではないが、パーソナルアシスタンスを得るためには、そういう形でやらなければいけないと思う。

【ジョーン】ミズーリ州セントルイスから来た。国際ベンチレーター使用者ネットワークの事務局長をしている。私がこのような仕事をしているのも、生後15カ月でポリオにかかり、ポリオ後遺症をもっているからだ。私はベンチレーターを使っていないが、いろいろな形のベンチレーターもあり、使用者もあり、時間数もちがう。だからこそニーズがちがい、サービスが面白くなるのだと思う。

■ベンチレーター使用者の暮らしぶり

【折田】まずは熊谷さん、冨田さんに日本で地域の中で暮らしている当事者としての経験から、ご自分の暮らしぶりも含めて話していただき、それから、外国の方のお話も聞きたい。外国と日本とのちがい、外国にあって日本にないものは何かを探り出していきたいと思う。

【熊谷(博臣)】私は会社員なので朝の8時に家を出て、夜の8時に家に帰る。その間、いろいろな公的な制度を使っている。介護保険のヘルパー、支援費のヘルパー、医療保険による訪問看護婦をフルに使っている。医療的ケアの問題があってヘルパーが吸引できないという問題があったが、日本ALS協会が厚生労働大臣に17万人の署名をもってヘルパー吸引を認めてくださいというお願いをした。ALSに限るとか在宅に限るとか条件がついたのは不満だが、突破口となった。吸引をしていただけるようになった(※5)。

13年前に気管切開して呼吸器をつけてから、家で普通に生活することを努めている。いっしょにドライブに行くし、飛行機に乗って食事をする、いっしょに旅行する。妻が呼吸器をつけていなくてもしたであろうことを制約してはいけないと心がけている。妻も厳しい病気の中で強い心を持ち、非常に前向きにやっていると思う。

【冨田】私は呼吸器は夜だけだが、昼間もずっと介助が必要な状況だ。支援費制度の日常生活支援と移動介護を合わせて月366時間、1日にしたら14時間ぐらい。札幌市で2000年から始まった自薦登録ヘルパー制度を使って、自分に合った介助者でケアを行っている。ただし平日の昼間はベンチレーター使用者ネットワークで給料をもらって働いているので、支援費制度は使えず、連携している自立生活センターさっぽろのスタッフがケアに入る形で行っている。

ベンチレーター使用者にとってまず何が必要か。お手本になるベンチレーター使用者の存在が大切だと思う。札幌の私の住んでいる地域では、いっしょに活動している佐藤、花田という当事者がいるが、どちらも気管切開して24時間ベンチレーターをつけている。ただ生活しているだけでなく、自立生活のリーダーであって、地域で普通に暮らしていることがすごく大きなことだと思う。人工呼吸器を使用するエキスパートとして、当事者の立場に立った情報を知っていて、そうした情報が得られることも大きい。

関西にいる時は情報もなく、孤立した状態だったのが、札幌に来てすごく変わった。社会が変わればベンチレーター使用者も豊かに暮らせるんだと実感した。社会のあり方こそが問題であって、変えるべきは社会の方だと言っていくことが大切だ。言うだけでなく、当事者、専門家、一般の人に向けて、正しくポジティブなメッセージを伝えていくことの重要さを感じる。

【オードリー】カナダのオンタリオ州では、ベンチレーター使用者はいろんな状況下で生活をしている。施設で生活していて、地域で生活することが機会として提供されていることさえ知らない人たちもいる。それからアパートで自分の部屋に住んでいるが、10人、11人のベンチレーター使用者が同じ建物の中に住んでいて、お互いに助け合っているという人たちがいる。それから行政支援が提供されて住むことができる住宅がある。自治体の政策が変更になって、この5〜10年の間に、昔は出ていた住宅手当が出なくなった。だから自分で稼いで自分が決定する立場にいない人たちは施設に入るしかない人たちもいるし、ベンチレーター使用者がいっしょに住む集合住宅に住むか、あるいはお金がない場合は、支援の対象となっている住宅に住むために、ウェティングリストに名前をのせて待っていることがある。

長時間ヘルパーが必要であっても、うまくずっと同じ人がやってくれるとは限らない。いろんな問題に直面している。やはり吸引の問題もある。私の住んでいるところではダイレクトペイメントが提供されているが、スウェーデンや日本とちがって、1日9時間までしか費用は出ない。だからよく考えて使わなければならない。たとえば私は学生を頼んで、部屋や食事を提供し、そして必要に応じて介助してもらうことをしている。それから家族が足りない時間を補ったり、あるいは自分個人の蓄えを一部使っている人もいる。

子どもであっても大人であっても、ベンチレーター使用者を支援していくための家族の役割が非常に重要だといわれている。子どものベンチレーター使用者で家に住み、普通の地域の学校に通う子どもたちの親は非常に強い心の持ち主で権利擁護者でもある。そしてニーズを声高に訴えている。

社会を変えていくことはもちろん必要だが、それとともに私たちは責任を負っていかなければなない。介助料をもらうということは税金をいただいているわけだから、ちゃんと記録して使途を明確にして3カ月ごとに報告する義務がある。もちろん法律を遵守しなければならない。必要な保健所の手続きも全部満たさなければならないし、自分たちで雇い主となってヘルパーを見つけなければならない。そして自ら訓練をしなければならない。自分と合わなかったら、勇気を持って場合によっては解雇しなければならない。これは大変なことだ。

トロントに、自立生活と自発呼吸のための市民団体が設立されている。権利擁護の運動、あるいはベンチレーター使用者の生活を支援する立場にある医療の専門家、家族が勉強する場だ。私たちは、新しい政策に対しても、つねに政策の要約を読んで権利を主張してきたし要求してきたので、ベンチレーター使用者が非常に力を持つようになってきた。

ひとつ運動としてうまくいったと思うのは、オンタリオ州の看護師が推進していた正看護師だけが医療的ケアをすることができるという法律が制定されようとしていた時、法案の中に「もしもこういった行為がその人の日常生活の支障となる場合は許される」、つまりその人が日常的な生活を送っていく際にそれが大きな支障となる場合は例外的に許されるものとする、という条項を入れることに成功したことだ。つねに目を光らせて、何かあったら必ずそのチャンスを逃さないようにしている。

周りの環境、法制度もどんどん変化している。たとえば在宅ケアのワーカーは、足の爪を切ったり、薬を飲ませたり、あるいは吸引の手伝いをすることができない。そういった状況をつねに把握して、私たちは働きかけをしていかなければならない。自分たちが思っている方向へ世界を変えていかなければならない。それは簡単なことではないし、多くの人たちを動かさなければならないし、私たちもみんなが団結して運動していかなければならない。でも、それをやっていかなければならない。

私が申し上げたい重要なメッセージは、ベンチレーターは芝刈り機と同じ、車いすと同じということだ。すごいものを使っているのではなく、私たちが単に生きていくために使っていくひとつの機械に過ぎない。ほかの社会一般の方たちもそういうふうに見ていただきたいと思う。

【ラツカ】私は自分の使っているベンチレーターを、非常に高価な自転車用のポンプだと言っている。上下に左右するピストン、自転車のタイヤに空気を入れるピストンと似ている。そして穴が開いていて、穴に口を突っ込むとそのホースから空気が流れてくる。私たちが使っているベンチレーターの神秘性、人々がすごく大変なものだと思っている気持ちを変えていかなければならない。オードリー氏が芝刈り機だと言ったが、私たちの周りにある家電製品と同じ、むしろテレビなどは私のベンチレーターより複雑な機構になっている。そんなものより単純でごく普通のものだ。

スウェーデンでベンチレーター使用者がどんな生活をしているか。まず障害者がどう生活している、ベンチレーター使用者がどう生活している、普通の人たちとちがう生活をしている、というような区別は嫌いだ。医療制度の下で私たちはコミュニティの中でサポートされ、ベンチレーターが必要な人にはそれなりの公的なサポートがある。ベンチレーターを使い、かなり重度の障害がある人でも、コミュニティで生活している。

最近、重度の脊損で自発呼吸ができなくなった28歳の男性が、老人病棟に収容された事件があり、新聞に大々的に報道された。なぜニュースになったか。ストックホルムでは彼は例外的な措置だからだ。社会はそれを良しとしなかった。なぜそんなことをするんだと非難した。ただなぜそんなことが起こったかというと、彼が介助者とうまくやっていくことができず、意思疎通を図ることができなかったからだ。だから自治体はしかたなく解決策として病院に入れるしかなかったのだ。

ベンチレーターを使う障害者、あるいは長期にわたって障害をもつ人たちがコミュニティで生活できるのは、1978年に建築基準法が改正され、新たに建設されるマンション、アパートは3階建て以上の場合、完全にバリアフリーでなければならないことになったからだ。おそらくストックホルムでは約10%の住宅が今までに完全にバリアフリーに変わった。これによって、車いす生活を送っていても住宅を探すのが前ほど困難ではない。

もうひとつは、誰が日常生活の介助を提供するのかという問題だ。1994年の法律によってダイレクトペイメントが実現した。自分の預金口座から直接お金を払い、18時間の1日の介助を購入することができる。27時間、あるいは48時間という形で購入することもできる。同時に2人の人を雇うのも可能だ。自分のニーズに応じて購入ができるようになっている。そのニーズの評価は、医療的側面からではなく、自分の生活の状況に応じて評価されている。たとえば家族の関係がどうなっているか、仕事はどうしているか、コミュニティの中での活動はどうなのか、政治的活動をしているか、レジャーの時間にはどれくらい活動的なのか。活動的であればあるほど、いろいろな介助の経費をもらうことができる。100万円の収入があったとしても、あるいは自分の妻や家族や両親や親戚や子どもにいろいろな収入があったとしても、政府から提供されるという法律ができている。

パーソナルアシスタンスをサポートをする民間企業が多数、市場に参入してきている。組合という形で使うこともできる。私が1980年代にスタートさせたのがストックホルム自立生活協同組合だ。パーソナルアシスタンスを使う人たちが自分たちでいろんなことを決めていく。そして雇用した人たちのトレーニングを行うことも可能だ。いろんなコンビネーションの組み合わせでいろんなサービスを購入することができている。

選択肢が広がったということだ。住宅の柔軟性も拡大した。施設に入る必要性がどんどんどんどんなくなってきている。個別にはそういう必要がある人もいるかもしれないが、一般的には施設に収容される必要はないという状況が生まれている。

【ジョーン】アメリカでは、すべての人に提供できる介助のプログラムはまだきっちりとはできていない。すべての人に医療保険をということもまだ可能になっていない。だから、ベンチレーター使用者はどうしても、ベンチレーターを使い始めた時がどんな状況であったかということに左右されてしまう。

障害者や高齢者のために低所得者向けの公的医療保険があるが、介助についてはいろんな制限事項がある。サービス提供は在宅ケアに限られ、介助者を外にいっしょに連れ出す場合は資金が得られない。たとえば医師のところに行く場合はそのケースだ。この問題に対して運動家が一生懸命に声を上げているところだ。そこで若干の変更が3つの州で行われ、ベンチレーター使用者で相当な重度の障害の場合、介助者が必要で、いっしょに外についてきてもらわなければならない人がサポートを受けられるようになった。

連邦最高裁の判決では、政府は「最も制限の少ない環境の中で」サービスを提供すると言っている。すなわち在宅でないといけないということだ。ナーシングホームからどんどん外に出て家に帰ることが推進されている。そして在宅の人たちをサポートしていこうという動きになっている。ただ動きは遅々としたもので、州ごとに状況は異なっている。

■家族への依存と自立のバランス

【折田】日本の場合、ベンチレーター使用者はやはり家族への依存が大きい。家族への依存と自立のバランスは。

【冨田】大切なのは、地域で普通に生活している人がいるという存在だ。そういう存在を家族や親に見せていくことだ。私も実際に札幌に両親に来てもらって、佐藤の生活を見てもらい、呼吸器をつけても一人で暮らすことは大丈夫なのだと説明した。それでも子どものやりたいことを止めたいという親はいないと思う。親や家族も含めて正しい情報を伝え合うことが必要だ。

【折田】寿美さんは、ダーリンと喧嘩することあります?

【熊谷(寿美)】あります。

【折田】喧嘩しても、ダーリンに介助してもらわなければならない時がありますよね。そういう時、どうするか。

【熊谷(寿美)】強気でがんばります。

【熊谷(博臣)】ALSに限らないが、呼吸器をつけると24時間、家族介護の負担の問題が出てくる。家族の負担が大きいため、つけるまでにすごい選択がある。数十年前、妻は余命2〜3年と言われた。が、2年が5年にクリアされ、気がついたら孫がいるところまでがんばっている。でも多くの方は2〜5年で亡くなっていく。ALS患者は呼吸器をつければ生命が助かる。その選択ができないことが日本にはずいぶんある。そのことを非常に悲しく思う。ALS患者が呼吸器をつけるかつけないかという選択の時期になると、医師は「つけるかどうか家族で考えておいてください」と言う。そうすると、たとえば奥さんが患者さんの場合、旦那さんに「そう言われたけど呼吸器どうしよう」と。聞かれた旦那さんは「おまえにまかせるよ」という返事をよくすると思う。おまえに任せるというのはある面では公平な判断のようだが、私にとっては「つけるな」と言っているように聞こえる。「つけてがんばろうよ」と言える社会にしていきたいと日々、感じている。

【ラツカ】私が22歳の時、カリフォルニアでガールフレンドといっしょに暮らし、彼女は介助をしてくれていた。毎日、毎月、朝起きて掃除をして食事を作って、しかし、彼女が燃え尽きてしまったために関係は終わってしまった。大変大きな悲劇で、何年も落ち込んで、それを乗り越えるのが大変だった。だから私はスウェーデンに一人で移り、この豊かな経験にのっとって親交を進めた。スウェーデンでガールフレンドと住んだが、家の中に入ってくる介助者に対して羨望、感情の起伏があったのでちょっと困ると思った。彼女は日本人だったが、ただ一人の私の世話人になりたかったようで、これは自由ということからかけ離れている。介助者を通して私は自由ということを学んだ。

今の妻に会った時にはもう明らかだった。つまり、いつも介助者が側にいながら、しかも独立しているということだ。つまり、私たちの選択でもって前進するということだ。子どもをもつ前、ニカラグア、メキシコといろんなところを旅した。いろんな会議にともに参加した。そしてカリフォルニアで休暇を過ごした。いろいろなことをして二人きりで時を楽しんだ。これはすばらしかった。これは2人ともがそういう選択肢を選んだからだ。なぜできたか。ダイレクトペイメントを受けていたからだ。それによって選択ができた。だが、正しい考え方を持っていなければこれもできない。自分たちの一番いいやり方を選択するには心の成熟度も必要で、22歳の時には若すぎた。あまりにも熱情が燃えていていい判断ができなかった。

【オードリー】私もラツカさんがおっしゃったのと同じようなことを学習した。すなわち、ひとつの境界を見つけなければいけない。友好と介助とのちがいということだ。それは難しかった。私自身が傷つけられたこともある。あまりにも助けてくれる、私が必要なことをすべてやってくれる、だからこそ疲れすぎてしまうことがあった。ベンチレーター使用者だけでなく、障害をもつ人たちが介助が必要になると、方法を探さなければならない。近しい人が助けの手を差し伸べると言った時に、バランスを考えなければならない。

家族との関係ということだが、私はいつも自立していた。仕事をしている時はフルタイムの仕事で、朝起きて出かけて、みんなと同じように夕方に帰って来る。職場でヘルプを頼んだ。年がたつにつれて、親が年をとったので、母親がつねにやるような買い物や掃除をやったり、1人の障害者が2人の人の面倒をみるという大変なことになった。ちょっと病気になったので、それができなくなった。だからさらなるヘルプが必要になった。私は、母親が施設が生きることを考えた時に、私が自立することを可能にしてくれた、私が自身の選択肢を選ぶことをさせてくれたということで、私を子どもの時に施設にいれなかったということで、できるだけ彼女の生活を生きているかぎり楽しめるようにしてあげたいと考えている。

■呼吸器をつけた子どもと親の関係

【折田】バクバクの会にもかなりいるが、意識障害が重くて呼吸器をつけて家で暮らしている子どもたちがいる。アメリカでは親の選択として、そうした子どもに呼吸器をつけたまま生活することを選んでいないと聞いたことがある。その状況は変わっていないか。

【ジョーン】変わっていないと思う。アメリカでは、もちろん選択肢がある。私たちが選ぶことができる。ベンチレーターを使うのか、使わないという選択肢も個人の権利だ。それは家族の中で決断をする。医療の専門家と協議の上で決定する。ベンチレーターを使うか使わないかは、それぞれの個人の判断にゆだねられる。子どもたちがベンチレーターを使うかどうかは、もちろん子どもの選択肢の中に入っている。

【オードリー】てんかんのマヒがある10歳の娘を、父親が殺してしまったという事件がカナダであった。この少女はベンチレーターは使っていなかったが、私が仕事をしていた施設の医療従事者はショックを受けた。一般世論は意見が分かれて、障害者の人たちは、もっと家族をサポートすべきだった、父親がそこまで疲れる前にサポートを提供すべきだっと言っている。やはり障害をもった少女であっても、尊い命を与えられている以上は生命を維持していく、生きる権利を尊重すべきだったと多くの人たちは言っている。

カナダでは、障害を持っている子どもの両親に対して、ベンチレーターを使うという可能性が情報として提供されない場合がよくある。ベンチレーターを使ったことがある多くの人、あるいは情報を持っている人は、私やラツカさんがどんなに充実した生活を送っているか、そのすばらしさを知っている。しかし情報をもっていなければ、どっちみち子どもは死んでしまう、苦しむのだったら今殺してしまった方がいい、死んでくれた方がいいと思う親もいる。選択肢が提供されていない問題があるし、また医師によってはベンチレーターに非常に否定的で、それをやろうと親に申し出る医師がすべてではない。

【ラツカ】スウェーデンでは、パーソナルアシスタンス法を通じて家族は支援を受ける。ベンチレーターを使っていて意識障害がある子どもの場合は、ほとんど在宅で両親と住んでいるが、コミュニティからサポートを受けることができる。地方自治体がその家庭に対して財政的な支援を行い、国家の社会保険基金からの支援金で、必要に応じて1日24時間フルに介助人を雇うことができる資金が提供される。親が仕事を辞めたりせず仕事に行くことができるように、親を縛らない支援がある。

それから週末あるいは1週間に1回、あるいは1カ月に1回、同じような状況の子どもたちと十分訓練を積んだスタッフが一時的にいっしょに住んで、親が一息つく、あるいは旅行に行くことができるようにするサービスもある。パーソナルアシスタンスは通常、ダイレクトペイメントという方式で提供されるが、それは親が必要に応じて使うことができる。そして、子どもが本来いるべき場所、家族といっしょに過ごすことができるように公の援助が充実している。

【折田】日本でも、呼吸器をつけて自宅で暮らしていた27歳の女性が、父親に呼吸器を外されて殺されるという事件が去年、大阪であった。新聞記事によると父親は呼吸器をつけている娘の将来を悲観したという。死んだ方が楽だと思ったと言っていた。私はこの話を聞いた時、呼吸器をつけない方が、死んだ方が楽なんてことは絶対ないと思った。呼吸器をつけることですごくパワーをもらって、すごく身体が楽になって、いろんなことに挑戦する意欲もわいてくるし、すごく生活は豊かになっていく。それは息子との生活で感じたし、ほかの呼吸器をつけた子どもたちや佐藤きみよさんに出会ってやはり感じた。

親というだけで娘の命を奪ってしまうということが日本ではまだあるんだなと。なおかつ、こういうことがあったと知り合いの方に話したら、「親の気持ちがわかる」と言われた。「お父さんも大変だったんだろう」と。私は、殺された娘さんよりも殺した父親の気持ちがわかると言われた時、日本の障害を持って生きるという価値観は、まだまだ障害があることは不幸だととらえているんだと感じて、暗澹たる気持ちになった。呼吸器をつけた娘さんの親に対して、私たち親の会から何らかのアプローチができていたら、こういう悲劇は起こらなかったんじゃないかと思う。

■医療的ケアの問題をどう解決するか

【折田】日本ではケアの問題がとてもネックになっている。吸引ケアが必要だから地域の学校に行けない。養護学校であっても親がつかないといけなかったりしてきた。最近になって養護学校には看護師を配置しても良いことになり、看護師が担当することになったが、以前は教師が吸引や経管栄養の補助はやっていた。看護師が来ることによって先生たちはやらなくなってきた。私たちは、何の資格もない親ができるケアはヘルパーさんでも誰でもできる、学校の中でも教師がやるべきじゃないかとずっと言ってきた。かえって看護師という専門職が入ることで、先生方が私の仕事じゃないと言う壁が出てきている。また養護学校で看護師がつくようになると、今度は養護学校に行ったらケアしてもらえる、だから地域の一般の学校に来なくていいって言われるようになってきている。

そこで質問だが、日本では医療的ケアは医師の指示のうえで医療に携わる者にしか認められず(家族は例外だが)、日常生活の支援を行っているホームヘルパーが行うことは禁じられている。私たちは一定の医療的な知識や技術を身につければ、医療的ケアもホームヘルパーが実施することを認められるべきだと考えているが、皆さんはどうお考えか。私たちは日本の医療に関する法改正を行うよう今、働きかけているが、そういうことはあったか。

【ジョーン】われわれの経験でも、法律があって阻害要因になっている場合、障害者の団体が団結して情報を集め、支援してくれる人たちもいっしょになってメッセージが届くように努力する。障害をもつアメリカ人法もすぐに獲得できたものではない。1983年に運動がスタートして、1999年に初めて法律として制定された。だから時間はかかると思う。政治的な状況がどうかも重要だし、どんな人が政府にいるのか、政治家にどんな人がいるかによる。そうした権利擁護の活動は持続していかなければならない。私たちからもそれを推進したいと思う。

【ラツカ】スウェーデンでは、パーソナルアシスタンスによって、ホームヘルパーという形で支援ができるようになった。自分がトレーニングをほどこし、何ができるのか、どういうことをやればいいのか、すべてユーザーサイドが指示をしてそれに基づいてできるようになった。そういう形でパーソナルアシスタンスが動いている。

【オードリー】世界的に見ても一種の幻想があるのではないか。学校に行って証書をもらって卒業する。そうしたら、どんな仕事も必要なことは何でもできると思いがちだ。政府の機関は紙だけで判断してはいけない。それだけで何をも保証するものではないことを学ぶべきだ。専門家であっても、その人の資質はちがう。もちろん、専門家のみんなが能力がないと言っているわけではない。でも必ずしも全員があまねく有していることはない。資格を持っていなくても、吸引であっても他のことであっても、もっとうまくできる人がいる。たとえば家族の方がずっと上手にできたりすることもある。

ベンチレーター使用者あるいはその家族は、自分が責任を持って、そして自分たちの必要性に応じて介助者を個別にトレーニングしていくことが大切だ。必ずしも優秀な資格を持っている人でなくても、自分にふさわしい人を選んでトレーニングすべきだと思う。

もう一つ忘れてならないのは、吸引がルーティンの仕事になって、毎日の日常生活に必要だという場合、トイレに行ったり鼻をかんだりするのと同じように必要だという場合、自分が本当に好む人を雇うべきだと思う。日常生活においてはやはり自分が慣れた人が必要だし、それが選択肢として提供されなければならない。吸引は毎日の日常生活に必要なルーティンの仕事だ。それには特別な資格を持った給料の高い人は必要ない。皆さんが自信をもって信頼でき、自分に合ったトレーニングを受けた人たちにお願いすべきだと思う。

■事業所の医療的ケアへの対応

【折田】会場からの質問。「障害者の介護支援センターの事業所をしている。利用者の中で、気管切開をして在宅生活をしている人がいるが、今の日本の法律では吸引などはできないので関わりたくても関われない。そういう現状をどうやったらクリアできるか。医療的ケアを行って何か事故があったら、誰が責任をとるのかと思案にくれている」。

【冨田】ベンチレーター使用者ネットワークでは痰の吸引等も行っているが、私たちは吸引ケアも生活に必要な介助だととらえ、当事者が責任をとって介助者に教えるという方法で行っている。おっしゃったような事故は、最初の時点できちっと当事者なり医療関係者なりが指導に入ってやれば問題はないととらえている。事故が起こるというのは考えられない。何が危険なのか私にはわからない。特に事業所の責任にはならないと思う。

【熊谷(博臣)】来ていただいているヘルパーさんには吸引をしてもらっている。これは厚生労働省の判断が出る前からしていた。私のところに関わっている事業所の代表者の考えだ。患者が吸引を要求するのであれば、患者の要求をヘルパーにさせるのが事業所の責任であると。それで何かあった時に、責任は代表である私がとればいいという考えを明確におっしゃった。だから、家に来るヘルパーさんは吸引をしている。

あと吸引は全く危険だとは思っていない。13年前、中学校3年生の息子は、退院する時に看護婦さんがこうだよと言ったらすぐやっていた。家族がやっていることを、中学生がやっていることを、より教育されたヘルパーさんがやれないはずはない。妻が言っていたが、家ではヘルパーさんも家族も看護師さんも吸引をしているが、看護師さんよりヘルパーさんの方がよっぽど安心して任せられる場合もある。

【オードリー】生活でやることの多くにミスはあり得る。リスクを全くなくすことはできない。心臓のペースメーカーであろうと、あるいは何かをしたり、どこか道をわたっている時でも生命の危険はある。だから全体を眺めて、ひとつにとらわれてはならない。トレーニングをうまくする、前進する、一歩足を前に進めることだと思う。

■自立生活を送っていくために

【折田】ラツカさんに質問。「日本も含めて世界に置ける現在の自立生活運動運動について。パーソナルアシスタンスのこれから。あるいはピアであることの意味について」。

【ラツカ】自立生活を送っていくために必要な要件を、私は3つにまとめている。まず、動き回ることができる十分な住宅が整備されていなければいけない。地域社会において車いすですべて使える住宅が整備されなければならない。それから、パーソナルアシスタンス。自分たちで選べる状況ができあがらなければならない。3つ目に、お金があったとしても、自由に動き回れる住宅があったとしても、私の生い立ちを説明したが、愚かな間違いを犯してしまう。精神的に未成熟であるがゆえに犯してしまう過ち。つまり人のボスになって、人を使っていくわけだから、人間関係にたけていかなければいけない。同じ状況にある人々といろいろと情報交換をして、刺激をし啓発をしてもらい、自ら成長していくことが大事だ。人の視点からいろいろと情報を提供してもらって、自分はこれしかないと思っていたことが実はほかにも解決策があったかもしれない。いろいろと感情面でもサポートしてもらう。モラルサポートしてもらう。ピアのアドバイスは非常に重要だ。

世界は広くて危険で、やはり自分がトレーニングを積んで、自分が大人になっていかなければ生きていくことはできない。私は17歳から22歳まで施設に入っていた。22歳の時にアメリカに向けて出発したが、精神年齢はまだ18歳ぐらいだったと思う。施設にいた5年間は私はほとんど精神的に発達していなかった。だから今思えば、何であんなバカなことをしたんだろうと反省することもあった。でも、それも学習のプロセスだ。これは簡単なことではないが、お手本があれば、ロールモデルがあれば、ずいぶん楽になると思う。セントルイスの国際ベンチレーター使用者ネットワークのもともとの組織でジニー・ローリーさんに会い、いろんな記事を読み、いろんな写真をもらい、いろんな手紙を送り、エド・ロバーツさんたちとも知り合って、彼らが何年か私より先にベンチレーターを使うようになっていたので、私のお手本になってくれた。彼らができるんだったら、私もがんばってみよう。使えるんだという気持ちになった。

だから、自分たちがロールモデルとしてほかの人のお手本になることを皆さんも心がけてください。お手本というのは成功した部分だけを示せばいいのではない。やはり人間である以上、ミスもあれば失敗もある。ほかの人たちが学べるように、教訓を得ることができるように、私たちの失敗面も学んでほしい。それがピアサポートということであり、お互いに社交して、交流することで多くのことを学ぶことができると思う。

■日本の人たちに伝えたいこと

【折田】海外では優れた制度やシステムがあるが、今までお話しいただいたように、最初からあったのではなく、当事者たちが闘って勝ち取ってきたものだ。日本でも、皆さん一人ひとりが、自分たちが勝ち取っていくんだという人たちがたくさんいれば、それは可能になっていくのだろうと思う。それと、ベンチレーターをつけることで尊厳がなくなるとか、不幸な存在になってしまうという価値観がまだまだあるが、それは全然逆なんだということを皆さんに感じていただけたのではないかと思う。

今、日本の介助の制度は、支援費が介護保険に統合されるかもしれないということで大変な時期だが、やはり自分たち自身がどういう介助を受けたいか。それを手に入れるためには、やはりより多くの仲間、友人を得て政府と粘り強く対話していかなければならない。関西人はしつこい方が多いと思う。しつこくしつこく言い続ける。関西人のいいところを発揮して、ぜひ自分たちが必要とする介助を手に入れていきたいと思う。

ラツカさんやオードリーさんを見ていると、呼吸器をつけていても世界を自由に飛び回っている。日本でも、呼吸器をつけていてももっと自由に生きられるだろうと思う。今日、集まった皆さん方は、いろんな職種の方がいらっしゃると思うが、せっかく今日集まって友だちになれたと思っているので、いろんなところでこれからもつながりを広げながら、いっしょにいろんなことをやっていきたいと思う。

最後に、ベンチレーター使用者の地域での自立生活に向けて、当事者からの提言ということで、日本の多くの人々に伝えたいことなどあったら一言ずつお願いしたい。

【ジョーン】私たちの組織は十分に情報の力を信じてきた。そして人々のつながることの強さを感じてきた。この2つがとても重要だと思う。その分野で私たちは専門家になりたいと考えてきた。私たちのサイトにぜひともアクセスして、いろんな情報を得てほしい。そして、いろんなところに人のつながりがある。この1週間の間に、いろんな人とつながりを持つことができた。これは非常に重要だ。それこそが力だ。いろんなことの大きな変革の始まりだと思う。非常にパワフルなことが始まりつつあると思う。

【オードリー】われわれはもっと注意を向けて、自分の障害をもう一度考えなければならない。それはひとつの特徴でしかないということだ。背が高い人もいれば低い人も、やせている人もいればふとった人も、アイルランドの人もいれば英国の人もいる。同じように私たちはただ補助器具をつけているだけなんだということで、それを誇るべきだと思う。そしてこのような補助器具にアクセスすることができるようになった。昔はそんなことができなかった。宇宙飛行士が月に行くような時代になったわけだ。

この宇宙飛行士もライフサポートがなければ宇宙で死んでしまう。私たちと同じだ。だからといって彼らは障害者だと思っていないと思う。環境だけがちがうわけだ。月だから彼らは呼吸できないのであって、彼らは障害者と認識していない。同じことが私たちにも言える。私たちには補助器具というものが入手可能な状況にある。そして、それをひとつ持ってみんなが生活しているわけだ。それによってお互いがつながっていくこと、これまでできなかったことが可能になっていると思う。

またインターネットもある。もっともっと広く人々がつながれるようになった。これは非常に大きな力だ。それによって大きな変革をもたらすことができると思う。同じような人たちが手をつなぐことによって、そしてこの数を増やすことによって、社会に示していくことができるはずだ。私たちも社会に市民として貢献できるんだ、みんなと同じように貢献できるんだということを言わなければならない。われわれは資源であるわけだ。

【ラツカ】私たちは、自分を振り返って学ばなければならない。そして一般の普通の人を見ても学ばなければならない。ベンチレーターの使用者、障害者も全く普通の人なのだ。私たちは同じようにコミュニティの一部としてニーズを持っている。そして認識、愛、知覚も全く同じものを持っている。私たちももちろん良い生活をする権利を持っている。そして私たちは若くして死ぬということではいけない。そして施設で隔離されることを認めてはいけない。私たちは特別な人でも何でもない。われわれも要求すべきだ。隔離された特別な存在ではなく、施設に入った存在ではなく、一般の人と同じ生活を送る権利を持っている。それを忘れてはならない。

【熊谷(博臣)】妻がALSになった、それから呼吸器をつけた。大変なことだが、これですべての不幸が一度に覆いかぶさってきたとは思いたくない。熊谷寿美さんにとってALSであることはけっして彼女の個性でもないし、呼吸器をつけていることはけっして彼女の個性ではない。熊谷寿美さんという人は、50数歳の女性であり、私の妻であり、孫のおばあちゃんであり、そういう役割がある。

呼吸器をつけていてくれて本当によかったと思っている。呼吸器をつけてもやれることはたくさんあると思っているので、豊かな生活をしてほしいと思うし、私は介助者として、彼女をQOLを持った1人の人間として生きていくためにサポートする。彼女が言っていたが、ALSになって呼吸器をつけたことで、たぶんALSにならなかったら、呼吸器をつけていなかったら経験できなかった豊かなことをけっこう経験している。それが私ががんばれる励みだし、妻を取り巻く多くの方もサポートしていただいていると思う。一人の人間として生きていくようにがんばってほしいと思うし、私もがんばるし、皆さんにもこれからもいろいろな形でよろしくお願いしたいと思う。

【熊谷(寿美)】不自由でも楽しい人生です。

【冨田】皆さんのお話をうかがっていて、ベンチレーターをつけることは人生の終わりではなく、実は始まりなんだと感じた。札幌、東京、大阪とシンポジウムをやって来て、人工呼吸器をつけても人生の主役は私たちなんだ、ということですごく力をもらった。いろんな人とつながり、お互いに力を高めあい、人工呼吸器をつけても地域であたりまえに生きられる状況を日本でもつくっていくパワーが私たちにはある。日本だけでなく世界の方々と手を取り合って、すばらしい世界に変えていけたらと思う。

【司会(東谷太)】約20年前、日本で日米障害者セミナーが開かれ、アメリカの自立生活運動の父と言われているエド・ロバーツがやって来た。日本の障害者は彼を見て大きな衝撃を受け、日本に自立生活運動が広がっていった。そして今では全国100カ所を超える自立生活センターができ、多くの仲間が自立を獲得している。20年前の日米障害者セミナーのように、今回の国際シンポジウムをきっかけに、ベンチレーターを使用している仲間の自立生活運動が広がっていくことを大きく期待して最後の言葉にしたい。

※5 吸引をしていただけるようになった 2003年7月、厚生労働省医政局長から都道府県知事あてに「在宅ALS患者に対する家族以外の者によるたんの吸引は当面のやむを得ない措置として許容される」という旨の通知が出され、また省関係部局から各都道府県部局に対して通知が出された。

◎寄稿◎

頸損のベンチレーター使用者の現実

支援費制度が始まってから…

吉田憲司

2003年4月からの支援費制度が始まるのに合わせて2002年の終わりごろから支援費制度に対応してくれる近辺の事業所を探し始めました。障害福祉課から渡された登録済みの事業所のリストの上から電話をかけていきました。よい返事は0。渡されたリストはプリント1枚とはいえ書かれている事業所はひとつやふたつではありません。ですがすべてから断られました。これにはさすがに驚きました。中には「うちは障害者に対応していません。高齢者専門です」というところもありました。このとき初めて事業所を選択できるが事業者はサービスを拒否することができる、ということを知りました。

これには障害福祉課の担当者も驚いてうちと事業所の間に立って何度か話し合いをしたりもしました。けれどもどの事業所も規模が小さく電話がかかってきてもとてもサービス申し込みに対応できるような状態でないのは端から見ても分かりました。まして人工呼吸器が絡んでくるとなおさらです。救命士の助細動問題に端を発した医者の許可が必要な医療行為についてもこのころALS患者のヘルパーによる吸引も話題になっていて新聞やテレビでは好意的な報道がよく見られました。それで少しは世間の見方も変わると期待していた吸引についても“医療行為だから“と結局やってくれるところは見つかりませんでした。

そうこうしているうちに年も明け焦りも募ってきたところに障害福祉課の方から提案がありました。新しく立ち上げた事業所があるけれどまだ介護のスキルがないのでこちらの言い分についていろいろと融通を利かすからそちらで研修をして介護スキルを身につけさせてほしい、といったような話になりました。むろんそれだけでは教える側の家族の負担ばかりが大きくとても一人前の介護人に養成する続けられそうにもありません。そこでそれまで市から来てもらっているヘルパーを支援費制度上での継続と自費で来てもらっている知り合いの介護人をうち専従で事業所に登録して経済的負担を軽くしてくれるということでその事業所と二人三脚の支援費での介護体制が始まりました。

それからおよそ1年半見てきましたが状況はよくありません。うちと組んでやっている事業所のいまだ業務は拡大せず逆に1人結婚でやめてしまいました。メインの介護人になってもらう予定が家族の介助のアシスタントとして収まりつつあります。

外に目を向けてみてもうちのような重度の障害者に人を送れるような余裕のある事業所はありません。というよりはわが家でやっている介護の水準に達していないのならそこまでヘルパーを研修して介護の質を上げてやろう、というような気概の感じられる事業所が見つかりません。それどころか介護スキルのあるベテランの介護人は次から次に立ち上がる介護保険の参入組に現場主任や管理職として引き抜かれています。また助成金を受けてやっているNPO法人などもあり競争が起きにくく淘汰されることもあまりないうえに新規参入の期待も薄く支援費制度開始からあまり状況は変わっていないようです。

その一方で財政上の理由からこれまで措置とされていた行政サービスの締め付けが厳しくなってきています。うちでも市から派遣しているヘルパーを順次うち切りたい、との旨を伝えてきたりしました。今後、小泉首相の地方助成金の3兆円削減や介護保険との統合、2007年の大阪府の赤字再建団体への降格など不透明な不安要因が多すぎて今はどのように動いていいのか分かりません。やがて具体的な話も出てくるでしょうがそれから行動しても間に合うのか?不安はつきまといます。

在宅での介護も今年で12年目に入ります。行政の支援が何もなかった10年前は気力で頑張っていましたか介護の中心になっている両親も年をとりましたし何よりも長年にわたる介護の疲労は気のせいではごまかせないところまできています。家族だけでの介護はすでに破たんしており足りない部分を行政のサービスでまかなっている状態です。昔と比べると制度とサービスの拡充で介護全体の3割程度を占めるようになりました。ですがその反面、法律の改正や制度の変更によりサービスの低下が起きた場合影響やリスクが大きくなってきています。このようなリスクを少しでも軽減するためにも自立という切り口でこれからの方向性を考える必要もあるのではないでしょうか。

注 写真は省略しました。

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