今回は、延澤庸行がお送りします。
まずは自己紹介からまいりましょう。怪我をしたのは昭和59年8月7日、バイクで大学に行く途中に左折車に後輪をひっかけられました。その場で倒れていれば良かったのでしょうが、バイクの運転には自信があったので倒れないように立て直してしまいました。モトクロスをやっていたので、とっさに倒れないようにという意識が働いたのでしょう。うまく立て直したまではよかったのですが、後輪をひっかけられているのでまっすぐには進まず斜めに走ったため、道路脇の小さな畑にバイクごと落ちてしまいました。1m程落ちたでしょうか。その畑には1段だけブロックが置いてあったのですが、そのブロックにヘルメットの後頭部をぶつけて頚損になってしまいました。悪い事は重なるもので、ついてなかったとしか言いようがないですね。意識は完全にあったので、救急車の手配やバイクの引き取りの手配などすべて自分で頼みました。(加害者は何もしなかったらしい)救急車で運ばれた病院からその日のうちに阪大病院に移り、10月に星ヶ丘厚生年金病院に転院、昭和60年10月末に退院しました。昭和61年4月より大学に復学したのですが、即辱蒼ができてしまい、5月末から11月初めまで再入院していました。辱蒼の原因は車のシートの硬さだったようです。その後再び復学し、昭和63年3月に大阪大学工学部通信工学科を卒業しました。レベルはC-6です。指はまったく動きません。手首は背屈のみ可で逆はまったくきいていません。あとは、2等筋はきいていますが3等筋はきいていません。3等筋がきいていないので、肘をロックしないとプッシュアップはできません。
前置きが長くなってしまいましたが、仕事の話に入りましょう。初めは大学の就職担当の教授が「成績は保証できるのでまかせておきなさい。」と言ってくださったので少し期待していたのですが、関西の大手電気メーカー(松下、三菱等5社程だったようです)すべて断られました。理由は障害の程度が重いということなのですが、直接そう言うとまずいので遠まわしに断られました。結局卒業と同時に就職することはできなかったのですが、研究室の教授が「大学から籍を抜いてしまうと大学側で就職先を探すことができなくなるので、研究生として研究室に残りなさい。」と言ってくださったので、研究生として大学に行っていました。その年の8月に研究室の教授から「面接に行ってみますか。」と今勤めている会社の前身の会社を紹介してもらい、8月31日に面接に行きました。面接のときにこちらがどういう状態かというのをすべて話し、会社側からも条件が出されて双方が合意したため、11月から採用ということに決まりました。会社から出された条件は、会社は貸しビルの2階から4階まで入っているのですが、ビルの入り口に10cm程の段が2段ある、エレベーターが狭い、会議室等に入るのに段差がある等の理由で、出社する時には家族が付き添って介助する、そのかわり、出社するのは週2回午後からでよく、他の日は自宅で仕事をして良いというものです。初めから半在宅勤務のような状態でした。後は、試用期間が健常者の倍の6ヶ月あったということくらいでしょうか。就職した会社は社員が50人程で、コンピューターを使ったトータルシステムを作っています。主に検査装置が主力製品になっています。ハード、ソフト両方を作って1つのシステムとして販売しています。私は開発技術部の開発担当です。具体的な仕事内容は、新しいシステムを開発する時や既存のシステムをバージョンアップする時に、どのような理論を使えば目的が達成できるかというのを論文や書籍をかきあつめて調べて、使えそうな理論についてはすべてテストプログラムを作り、テストデータで処理速度と制度を求め、どの方法を用いるのが最適かというのを報告します。すべての理論に対する結果を提出するので、実際にどの方法を採用するかは上司が決めるのですが、ほとんどの場合はこちらの提案が採用されています。あとは実際のシステムに使うソフトの開発、設計、製作、テスト、ハードの理論部分の設計(たとえば、センサーの光学的部分の設計)等を行っています。コンピューターの操作方法なのですが、キーボードは右手の中指一本もしくは左手の人差し指一本です。バランスがとれないため両手同時に使うことはできません。ポインティングデバイスは両手とも人差し指で操作しています。会社自体は、吸収合併、倒産、新しい会社の設立と紆余曲折があり社員の減少もあったのですが、幸いそれらの節目のときにもクビにならず現在に至っています。会社の所在地は江戸堀で、中ノ島の旧阪大病院の近くです。会社までは車で1時間弱かかります。
在宅勤務になったいきさつなのですが、5年程前に右座骨部に辱蒼ができてしまい、自宅で半年近く寝込んでしまいました。仕事内容が論文を調べたりノートパソコンでソフトを作ったりということで、ベッドに横向きに寝たままでもできることだったので、治るまでは自宅で寝たまま仕事をしていました。辱蒼が治って出社できるようになったので会社に連絡したところ、部長から「今まで家で仕事をしてもらっていたけど特に不自由はなかったし、無理をしてまた寝込むような事があると延澤君にとってもマイナスだし会社にとってもマイナスなので、これを機に在宅勤務にしましょうか。」という話が出たので、有難くそうさせてもらうことにしました。その時は、まだパソコン通信ができる体制にはなっていなかったので、電話とFAXで連絡をとり、作ったソフトやワープロ文書はフロッピーディスクにコピーして郵送していました。さすがにこれでは不便だということになって、翌年の年度変わりの時に、会社が仕事専用の電話回線を自宅に引いてくれて、自宅と会社でパソコン通信ができるようになりました。電話回線は会社名義なので、通話料金は会社もちとなっています。自宅での勤務体系なのですが、貧血がものすごくきついので体調によって仕事をはじめる時間が違ってきます。毎日何時に仕事をはじめて、昼休みはどれだけとって、何時に仕事を終わったかというのを勤務表に記入して半月毎に提出するようになっているのですが、時間帯がばらばらだと事務処理がややこしくなるので、便宜上決まった時間を記入してくださいという事になっています。実際には体調に合わせて昼休みが長くなったりしているのですが、そういうときは終了時間を遅らせて、実働時間が7.5時間をきらないようにしています。市役所などに用事があって行く時には、もちろん会社に電話して外出届を出します。
在宅勤務の良い点は、何より自分の体調に合わせて仕事ができるということです。時間的に拘束されていないので、体調が悪い時には休み時間を長めに取ったり、途中で少し休んだりということができます。要はトータルの勤務時間が規定時間以下にならなければ良いので、かなり身体的負担は軽くなります。その反面出社していれば他の社員や上司がいるのでちゃんと仕事をしているのがわかるのですが、在宅勤務だと他の社員や上司には私が自宅で何をしているかわからないので、彼はちゃんと仕事をしているのかと思われないように、できるだけ早く結果を出さないといけないというプレッシャーがかかります。そのため、つい無理をしてしまうということがあるのですが。
私の個人的な意見ですが、大きな会社よりも中小企業のほうが融通がきくと思います。(今は大企業も変わってきているのかもしれませんが、私が就職しようとしていた頃はそうでした。)最終的には会社側がどういう考え方をしているかということにかかってくるのですが、今は通信技術も発達しているので、ちゃんと仕事をこなしていれば在宅勤務でもまったく問題はないと思います。後は、会社側が在宅勤務でも雇ってやろうと思ってくれるような能力や技術を個人が身につけていくことが大切だと思います。
以上で今回の話は終わりますが、皆さんにとって何かの参考になれば幸いです。